恵那での経験を携えて。和太鼓奏者、加藤拓三さんが出発前に語った、アメリカ出発への思い。

恵那市出身の和太鼓奏者加藤拓三(たくみ)さん。昨年秋に、アメリカに渡りました。

 恵那での活動を振り返りながら、どうしてアメリカへ、これからのことなどを聞いてきました。

地元のお祭りで出会った太鼓と、転機のアメリカ

 恵那でずっと育ってきた拓三さん。幼少期の音楽との出会いは、3歳から始めたバイオリンと、5歳の時に地元のお祭りで叩いた太鼓でした。とはいっても、本格的に太鼓と出会ったのはそれから10年以上経った、高校1年生の時でした。

「高校2年生、3年生の時には全国大会に出場しましたが、結局、全国制覇をせずに終わってしまって。今思えば、この経験が今の自分を作っているなと思います。」

高校卒業後も太鼓を続け、恵那の実家から片道2時間半かかる大学に通いながら、太鼓の練習、スタジオづくりのためのアルバイト、また恵那の子供たちへの太鼓のレッスンへと励んだといいます。

そんな最中、転機が訪れます。それは、アメリカのBethany collegeへ交換留学に行っていた、2011年、大学2年生の時アメリカ同時多発テロが、拓三さんが訪問した場所の近くで発生したのです。

「身近な人が亡くなってしまい、僕もホームステイ先の地下に避難しましたそれから、平和のために何かできないか?と、考えるようになり、仲間と募金活動を始めました。3年間続けて、ニューヨーク市長に渡してもらいました。」

音楽、そして平和に向き合い続ける中で、太鼓をもっと本格的に学びたいと考えた拓三さんは、大学卒業と同時に、難関で知られる太鼓芸能集団「鼓童」(新潟県佐渡市)へ。

太鼓以外にも、狂言、民謡、踊り、篠笛、漁業、茶道、書道、花道、俳句、田畑などを超一流の人から学ぶ、トップレベルの場で2年間修行をしました。

「その時からアメリカでの小中を全部回りたいと思っていたんですが、全部回ろうとすると、1日1校でも150年かかる。これは無理やなと。その前に、アメリカで、小さくてリズムが生きる音を追求しようと、アメリカに3年間住むことにしました。」

アメリカで3年間音楽を学び、2008年。和太鼓界では世界最高峰とされる「第7回東京国際和太鼓コンテスト 大太鼓部門」最優秀賞を受賞します。

この翌年は該当者がいなかったほど、厳格なコンテストで、権威ある賞を受賞した拓三さんの頭によぎったもの。それは「地元にお礼を言いたい」という思いでした。

恵那の民家を1軒1軒巡る1年間

最優秀賞の副賞としてついていた大きなコンサートも見送ってもらい、拓三さんが訪ね歩いたのは、恵那市の民家。恵那市中を巡り、各家庭で無償のコンサートを開催しました。その数、なんと1068軒

これ以外にも、海外ツアーを含む100公演を行う過密スケジュール。
どうしてわざわざ、民家1軒1軒を巡ったのでしょうか。

「正直体には疲れが溜まって、服の下には包帯を巻いていた時もありました。それでも、世界大会に出たことをアピールするとか、新聞記事に言葉を載せてもらうとかではなくて、僕を育ててくれた故郷で、自分の音を、ありがとうっていう気持ちを表現したかったんです。」

 1月1日から12月31日までの1年間。その移動距離は、新品だった車のタイヤが、1年で交換が必要になってしまうほどでした。

 「民家での演奏を始める前に、実家や恵那市役所には『苦情の電話が来るかもしれません』と伝えていました。でも実際には、1年間の間に、ハイエース4台分になるくらいの野菜やお酒をもらったり、恵那市外からも演奏の依頼をもらったりするくらいでした。自分の心を相手に伝えるとはどう言うことなのかを、教えてもらう年でしたね。」

 恵那市内を駆け巡った1年間を経て、2010年からは全国様々な場所での演奏を重ねました。2012年には「ぎふ清流国体」開会式、2015年には「太平洋・島サミット」での演奏、2016年には、「岐阜県芸術文化奨励」受賞、2017年には岐阜県中津川市・歌舞伎舞台「常盤座」名誉館長 就任。

様々な大舞台での演奏や受賞を経て、拓三さんが2019年までにした公演数は、2086。地元恵那市、そして岐阜県だけでなく、日本全国や海外を飛び回りながら、たくさんの人たちに音楽を届けてきました。

「恵那を回った時から、この次はアメリカ、と考えていました。アメリカは、3年間修行した場所であり、平和について教えてくれて、海外公演も2019年の時点で150回を行った、僕にとって特別な場所です。」

いよいよ、次のステップ、アメリカに向けての動きが始まりました。

運も味方したアメリカ永住権

2022年秋にアメリカに旅立った今回拓三さんが取得したのは、グリーンカード(永住者カード)と言われるビザ。

グリーンカード抽選プログラムという抽選で合格した、数%の人が取得できるビザです。制限なく滞在ができ、就業の制約もほとんどなく、自由に働く先を決められる、アメリカ滞在で最強のビザと言えるものです。

「活動実績などは関係なく、最初は抽選で無作為に選ばれるものなので、すごい確率ですよね(笑)10年チャレンジしてもダメな人もいる中で、1回で通ったので、すごいことだなと思います。」

アメリカに渡ってからは、恵那を巡った時のように、アメリカの家庭などを巡りながら、ストリートパフォーマーのように活動する予定だといいます。

「アメリカの家を何百軒と巡っていたら、メディアも黙っていないはず。最初は静かに活動しながら、徐々に表舞台に出られたらと思います。あとは…ブルーノマーズに会いたいですね!」

運も味方し、長年夢見ていたアメリカでの活動を始めることになった拓三さんですが「永住権は取れたけど、まだ夢の続き」と語るように、見ているのはその先にある平和。これまで培ってきた経験をもとに、アメリカでも丁寧に、且つ大胆に活動していく予定です。

恵那の皆さんへのメッセージ

「自分勝手な夢を追い続ける先には、恵那への感謝が必ず出てきます。自分の生まれたこの街を忘れることなく、恵那のようにあったかい音を、世界中に響かせたいと思います。」

「恵那の皆さんに伝えたいのは…そうですね、誰も死んでほしくない!ということですかね。僕は必ず、恵那に帰ってきます。アメリカまで行くとなると、命がけで行くことになります。最低で最高の目標が、全員生きて帰ってくることです。これが恵那に帰ってくるとこの恩返し。お礼も言いたいので、それまで、楽しみに待っていてください。」

<編集後記>

最後に、"恵那の皆さんへのメッセージをください"とお願いした時、過去の経験やアメリカでの展望を私たちに伝えてくださったお話しぶりから、打って変わって、本当に丁寧に、1つ1つ言葉を選んで伝えてくださったのが印象的でした。それだけ、これまで実際に足を運んで出会ってきた恵那の人たちのことを大切に思いながら、挑戦し続けてきたのだなと感じました。
拓三さん、恵那で、待ってます!

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加藤拓三さんについて

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スタジオぬくもりの森

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