人生を変えた恵那高ボート部を退いて1年。農園で生きがいを創造する「げんじゅ先生」の今

恵那高校の卒業生なら、見覚えのある方も多いのではないでしょうか?

27年間恵那高校で教師として教鞭を執り、現在も社会科講師として恵那高校に在籍する西尾源寿さん

生徒からも先生からも「げんじゅ先生」と親しまれてきた西尾さんは、講師の傍ら果樹園を経営しています。

おへマガインタビュー第14回は、おへマガの読者でもあるという西尾さんの、故郷中津川市での暮らし、教員時代、そして果樹園を営む現在を追いかけました。

西尾源寿(にしお・もとひさ)さん
1956年生まれ。岐阜県社会科教員。
恵那高校に27年間教員として在籍し、自身の出身でもあり、全国レベルで強豪である恵那高校ボート部の顧問を務めた。
現在は恵那市岩村町で,りんご・梨・ぶどう狩りができる第二豊楽園という果樹園を営んでいる。

|人生を変えた恵那高校ボート部生活

ーげんじゅ先生にお会いするのは、私が高校3年生の時以来ですね!(※当時、編集長のクラスの副担任でした。)
 恵那高校に長く在籍されているわけですが、出身はこちらなんですか?

中津川市の阿木で生まれて、阿木で育って、今でも阿木に住んでいます。

中学を卒業してから恵那高校に入学して、ボート部に所属して、大学にいってボート部を立ち上げることになりました。
恵那高校はボート部の強豪校なので、教員となってからも恵那高校に27年間いました。学生時代も入れると、30年間ですね。

ー30年間!人生の半分近いですよね。

恵那高校に入ってからすっかり人生が変わりました。恵那高校では、ボートのことばっかり考えてました(笑)

教え子が恵那高に来てボート部の指導を任せることができるようになったので、昨年で定年退職しました。
最後の年は退職後のことを考えて、地域でどんなことができるかも考えていました。

ーまさにボートが生きがいですね。
 退職後、現在は果物狩りができる果樹園「第二豊楽園」をやってみえるんですよね。

隣にある「第一豊楽園」と合わせて、もともと親たちがやっていた農園を継いでいます。
親たちが農園をやっているのは教員時代から頭にあって、いつかどんな形で関われるか?とは思っていました。

▲第二豊楽園のりんご。りんごだけでも数種類の木が並びます
ーとはいえ社会科の教員となると、農業とは程遠いですよね…?

新任教師として赴任した高校で副担任をしたクラスがロングホームルームの時間などに近所のリンゴ園をやっていて、それを任されていたことがありました。
部活が終わってから男の子を連れていって力作業とかをしていましたね。
それが僕の親に印象深かったみたいで、その頃お米が余って田んぼを稲から他の作物に転作する政策がすすめられていたので、リンゴ園をやろうじゃないかという話をしていました。

|教員生活で感じた田舎の仕事。シルバー世代の「生きがい」への疑問

ー社会科の先生は、他の先生よりも地域に関わる機会は多いんでしょうか?

毎年岐阜県各地を順番に会場として行われる県内の地理の先生方の研究会があって、たまたま退職の年に東農地域が会場ととなったので僕が担当しました。
地域の風土を生かした地域おこしがテーマということで、ジビエを食べたり、恵那市串原の移住の政策を調べたりする中で、地域についても色々考えるようになりました。

ー教員としての研究活動を通して、何か感じたことはありましたか?

農村が寂れていくのをどう止めるのかを考えた時に、田舎にも魅力ある仕事があるべきだ、と。

例えば僕が住んでいる地域でも、毎年ボランティアで行なわれていたイベントが、人がいなくなって開催されなくなってしまったんです。
ビジネスとして成り立つことが、若い人にも関わってもらえるには大切なんじゃないかと。

農業に関しても同じことが言えます。

農園経営に興味がある人が訪れてくれることもあるのですが、若い人たちが生活しながら自然や風土を生かして生活できる場を作りたいです。もともとの「豊楽園」が始まった時のコンセプトは、老後定年退職した人たちがぼんやり過ごすのではなく、生きがいを持って暮らしていく「生きがい農園」でした。

とはいえ定年退職した人たちの「生きがい」は採算を度外視している部分もあって、それでは若い人が関われない。一人いなくなり、二人いなくなり…と次第に立ち行かなくなってしまいます。

ー確かに、農業で生活を成り立たせるのは難しいイメージがあります。

僕自身も今年は台風も影響して、農業の難しさを感じています。台風であっという間に「梨がもう無し!」なんて……。
でも新しい時代の、若い人たちが関わってくれる農業を目指していきたいという思いはあります。
経営として成り立たせる形はまだ探し求めているところですが、シルバー世代の生きがい農園から、経営として成り立つ農園にして、若い人たちが生きがいを持っていくというのが僕の方針です。

ーシルバー世代と若い人たちでは、農園としての目指す姿も変わってきますね。
 農園の経営について、具体的にはどんなことを考えているんですか?

まず、農業実習生や、移住希望者の方の受け入れをできないかなと考えています。
阿木に古民家もあるので、移住に興味がある人に農業体験をしてもらえたらいいなと思います。

それから、地域の人たちとの交流を深めたいなと。
今も地域の保育園に開放したり、お年寄りの施設の方に来てもらったりしているんですが、地域に生きるものとして、人との繋がりを大切にしたいです。
果物狩りに来てもらったお客さんや保育園の子供達の反応が、僕にとっても生きがいになっているなと思います。

ー最後に、おへマガ読者の皆さんにメッセージをお願いします!

僕から言えることは、恵那中津川には、磨けば光る宝物が眠っているということ。
自然が豊かな田舎の仕事や暮らしは都会にはない楽しさや生きがい感動を与えてくれるものです。

一緒になって磨いていこうという気持ちが出て来る人がいるとありがたいなと思います。

<編集後記>

実は、げんじゅ先生の元生徒2人という編成で出かけた今回の取材。
西尾さんの口から何度も出る「若い人」という言葉に、何十年と重ねて来た高校教員生活で会ってきたであろう生徒たちの顔を思い浮かべているような気がしました。

取材に行った日はあいにく雨だったので後日写真を撮りに伺うと、普段は東京に住んでいる西尾さんの知り合いが、
「ここに来ると体の調子が良い」と言いながら農園の手入れをしている姿に、西尾さんの周りに生きがいが広がっている光景を見られたような気がしました。