【馬籠宿】ふるさとが生んだ偉大な文豪。島崎藤村生家跡にある文学館「藤村記念館」

藤村記念館

『木曽路はすべて山の中である。』
この有名なフレーズではじまる「夜明け前」の作者・島崎藤村は、1872年に馬籠宿で本陣・庄屋・問屋を兼ねていた島崎家に生まれました。
生家は明治28年の大火で焼失しましたが、藤村の強い希望により、幼少時代を過ごした馬籠本陣跡に建設されたのが藤村記念館です。

「夜明け前」は、近代文学の最高峰とも言われている作品。
幕末から明治へ。
大きな変革を遂げた日本の社会を、木曾街道の馬籠宿場に生きる主人公・青山半蔵の一生を通して描いた一大長編で、自身の父をモデルにしたとされています。

記念館入口の正面、白い壁にはこんな言葉が掲げられています。
藤村記念館
『血につながるふるさと 心につながるふるさと 言葉につながるふるさと』
これは1928年4月30日、藤村が地元の神坂小学校で行った講演の際の言葉なのだそう。
藤村が馬籠をどのように思っていたかを感じ取ることができる、なんとも美しい言葉です。

藤村記念館

馬籠の人々にとっても、藤村が特別な存在であることは
記念堂ができた経緯からもはっきりと伺い知ることができます。
記念堂が建てられたのは、昭和22年、終戦後の貧しく物資もない時代でした。
設計は〈東宮御所〉や〈ホテルオークラ東京〉などの建築で知られる日本を代表する建築家・谷口吉郎氏。
「この地に地元出身の文豪を記念するものをつくろう」と考えた地元住民は、ボランティアで山から木を伐り出したり、砂利を運んだり、家から瓦を持ち寄ったり、大工や左官仕事もこなしながら、限られた資源で建てたものなのです。
▼記念堂

あの記念堂はあの村の人の手仕事によって作られたということが特色です。これは他の建物と非常に違う点です。外国でいうと、山の中で小さい教会堂を作るようなものですね。外国の教会は神に捧げたんですが、藤村記念堂は藤村の詩に捧げられたものですから、造形もまた詩でなければいけないんです。
(谷口吉郎著『建築に生きる』より)

現在、記念堂の奥には新館があり、藤村自筆の原稿(処女詩集『若菜集』から絶筆『東方の門』まで)や、遺愛品、関連資料など約6,000点が保存公開されています。
▼夜明け前の原稿
英語版など数カ国語に翻訳されており、海外から訪れる人もいるのだとか。
▼藤村がつくった「かるた」
幼少の頃を思い子ども向けのものを作ったのでしょうか。
馬籠の幼稚園では、みんなこの「かるた」を覚えているそうです。

「夜明け前」は、読むのが難しい作品だというイメージを持っている方も多いかもしれません。まずは宿場を訪れて、馬籠の情景を感じたり、藤村を知ることからはじめてみてはいかがでしょうか。
谷口氏の戦前・戦後の作品の中でも名作との呼び声が高く、建築が好きな方にもぜひ訪れていただきたい場所です。

藤村記念館
住 所:岐阜県中津川市馬籠4256-1
電 話:0573-69-2047
時 間:9時~17時(12月~3月は~16時まで)※入館は15分前まで
休館日:12月~2月の毎週水曜日
入館料:大人500円 小人(小.中)100円 ※団体割引あり
WEB   :http://toson.jp/